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私の快楽主義

 恋愛のし過ぎなんだよ。
 いわゆるデートだとか、一緒にレジャーを楽しむことに夢中になって、仲良しになってしまう。
 それじゃ友達だ。友達の延長線上のセックスになってしまう。
 下手すりゃ兄妹みたいな関係になってしまう。
 要は、相手の前でおならとかしてもまるで平気な関係になってしまう(笑)

 私は、若い人たちには、いっぱい青春を楽しみ謳歌してほしいと思っているが(と言うのは私自身がそんな青春なかったからね)、あんまりそれが多いと、男と女の関係でなくなってしまう。
 男と女の間にある緊張感が薄れてしまうのだ。

 そのために、適度な距離感が必要だ。あえて、距離を置くんだ。

 男がセックス抜きに女に寄り添う時というのは、その女性が悩んだり苦しんだり不安感(鬱感)を感じてる時だ。
 女性は、気持ち・心の浮き沈みが大きいものだ。
 特に沈んだ時はどん底までだ。

 だから、男はそんな時、寄り添い黙って話を聞いてやれ。そして泣き崩れるようであれば、男らしく力強く抱きしめてやれ。
 間違っても、一緒になってメソメソしたり、お説教とか下手に勇気づけたりするんじゃないぞ。アドバイスも要らん。武勇伝なんて論外だぞ(笑)
 黙って、しっかりと聞くだけでいいんだからな。

 
 女のフェロモンは、そういう感覚を経験しないと出てこない。
 そういう感覚とは、即ち、Masohismだ。自分の中の女だ。
 その時、世界が変わる。自分も変わる。

 本当の女になるんだ。

 





 バックは、女の腰を自分の側に引くんだ。
 自分が腰を前後に動かすんじゃない。
 それはAVで、犯してる絵を撮りたいからやってるんだ。

 自分の下半身をがっちりと固定し、女の腰を手前に引く。そしたら前に突き放す。そしてまた引く。
 引くタイミングで、自分の腰をぐいっと打ち付けるのもいい。
 但し、女性にとってはかなり強烈な痛みにつながる恐れがある。
 その際は、ローションをたっぷりつけたり安全性だけは充分に配慮して。傷つけちゃいかんぞ。
 あるいは、緩急いろいろつけたり、焦らすのも手だ。

 





 「だめ」
 「ゆるして」
 「おねがい」

 女は、この三つの言葉を駆使することによって、男心を自在に操ることができる。

 





 美人が必ずしもセックスがいいとは限らない。
 私が我を忘れる程の快楽に没頭したのは、不美人とは言わないが、まあそこそこの女性だったぞ。
 もうずっと昔の話だが、今思えば、かなり自己中で荒っぽいFuckをしたものだ。

 彼女は二十歳そこそこで、もう自分の中の女(Masohism)を感じていたのだ。
 だから私は、彼女に対するSadism感覚に酔いに酔いしれた。

 正直、彼女が今も忘れられない。あの喘ぎ、表情、Mの快感を体全体で表現していた。
 あの時感じた快感が忘れられない。
 今も、私は、彼女のような女性を求めていると言って過言ではないんだ。

 





 セックスの相性?
 笑止だな。そこに男と女がいる。それだけで充分だ。何ら複雑じゃない。

 何かが邪魔してるんだよ。複雑にしちゃってるんだよ。
 男が男であることの自由を。女が女であることの自由を。
 お互いに、その束縛から解放されない限り、快楽はない。せいぜいが肉と肉とが擦れ合うだけの快感があるだけだ。

 男が男である自由が解放されない限り、そのセックスに快楽はない。
 女が女である自由が解放されない限り、そのセックスに快楽はない。

 これは、人生についても言える。
 自分が自分である自由が縛り付けられたままで、その人生に快感も快楽も幸せもない。
 あるのはマンネリズムの平和ぼけだ。人生に楽チンを求めるのならそれでもいいけどな。

 


 
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